シャンクス!?片腕の剣士の心構えが剣を変えた!隻腕は幕末にも?

事故で片腕をなくした人が

剣道に惹かれその道を歩むも

努力しても上手くいかない日々に

人生を変えた考え方とは!?

 

 

片腕で剣の道を目指す本当の想いとは!?

 

 

彼の剣道人生は苦労しかないと言った方が良いのではないでしょうか。

6歳で剣道に出会った少年はその時にはもう隻腕でした。

1歳の時に農作業で使う脱穀機に腕を巻き込まれて右手を失っていたのです。

 

しかし少年は剣道に魅了され「やってみたい」と親に言ったそうです。

剣道を経験したことがなかったとしても片腕で剣道をすれば

どれだけ不利な事かはわかるはずでしょう。

しかし親は二つ返事で剣道をやらせてあげたそうです、

この子が興味を持った事は何でもやらせてあげようと。

 

恐らく最初は片腕でもやってやるぞ見ておけ!くらいの気持ちだったと思いますが、

実際やってみると両腕で持った時の竹刀の動きや握力の消耗度が全然違うのです。

 

 

つばぜり合いでも押されますし何より竹刀をからめとられて跳ね上げられると

竹刀を手離したという事になり「竹刀落とし」として反則になります。

これを試合中2回やってしまうと反則負けになるのです。

 

片腕だと小手が浅い当たりだとしても竹刀を落としてしまう可能性があります。

もちろんわざと巻き上げを狙って反則負けに持ち込もうとする相手もいるでしょう。

しかし彼は努力し続けました。

「片腕でも出来るんだ」

と歯を食いしばって稽古に励みました。

 

スポーツや格闘技を経験した事がある人なら練習し続ける努力の大変さは

彼の努力の凄さは理解できるでしょう。

明らかに片腕は不利なのです、それでも彼はやめませんでした。

 

 

時にはビール瓶に砂を入れて何百回も振るという練習もしたそうです。

小さい頃に片腕になったのでずっと片腕でやってきたから周りが思っているほど

何事も大変だとは思っていないと。彼は常に前向きなのです。

 

彼の努力は実を結びます。

高校でチームをインターハイに導き一躍隻腕の剣士として注目を浴びます。

この後大学へ進学しますがここでまた苦難が待ち受けているのです。

 

 

大学ともなると体格などで相当差が出てきます。

もちろん剣道部の練習も高校と大学では雲泥の差、

きつい練習で体が悲鳴を上げた事でしょう。

彼は小柄なのです。

身長158センチ体重50キロという体で大柄の選手と戦わなければなりません。

剣道に体重別はないのですから。

 

高校でもインターハイへ出場した彼は

大学でも関西学生選手権でベスト16に、

全日本学生剣道選手大会では個人戦へ出場し

4回戦まで進むという結果を残しています。

 

彼の不屈の闘志を支えていたのは、

 

「親に負い目を感じさせたくない」

 

という強い想いだったそうです。

親はずっと気にしていたはずなのでそんな親の気持ちを読み取り

負い目を感じさせない為には

片腕でもやれるという所を見せないといけないと必死に頑張ったのでしょう。

 

 

片腕の剣士の心構えが剣を変えた事とは?

 

 

親に負い目を感じさせたくないと必死の努力で剣の道をひた走りますが、

その「片腕でも出来る」という事には限界があると感じます。

両腕ある人が両方の腕の力を限界まで引き出せば敵わないわけですから。

 

そこで彼は考え方を変えたのです。

「片腕でも出来る」

という事から

「片腕だから出来る」

という心構えになった時に彼の剣が変わりました。

 

それが大学の時の全日本大会の時に結果を出しています。

敵と離れている時は竹刀を長く持ち

近い時は竹刀を短く持って早く振るという竹刀のさばき方を実戦しています。

両腕があったとしても出来なくない戦い方ですが

これは片腕だからとった戦い方とも言えるでしょう。

懸念された竹刀落としの反則もありましたが、

見事に逆転勝利も収めています。

 

片腕の剣士のその後

 

 

彼の名は高宮敏光氏と言い隻腕の剣士として高校のインターハイで注目され

大学卒業後、彼はかねてからの希望だった教員免許を取得し教鞭を取っています。

片腕のハンデだとしてもやれるんだやれば出来るという気持ちを中学の教師として

そして剣道部の顧問として子供たちに教えているそうです。

 

片腕のハンデがありながらよくぞここまで精進されましたねと言われた時に

「片腕だからここまでやってこれたのです」と笑顔で答えたそうです。

 

 

 

幕末にも片腕の剣士がいた!?

 

 

高宮氏の話で思い出したのが

幕末に活躍した隻腕の剣士のことです。

 

幕末時に活躍した伊庭八郎という剣豪のことです。

天保15年に江戸で産まれた伊庭八郎は

元々剣術道場を営む「練武館」の長男として生まれたのですが

最初は剣の道はあまり身が入らなかったようです。

 

しかし次第に頭角を現して伊庭の麒麟児と呼ばれ剣名を轟かせます。

時代は幕末動乱期に入り幕府もいよいよ危ないという慶応2年から

遊撃隊として鳥羽伏見の戦いなどの戊辰戦争に参加します。

そして上野戦争とも呼ばれる戦いに彰義隊と共に参戦し

この戦いで伊庭八郎は左手を斬られこの後左手は使えなくなり隻腕となります。

 

これで終わらない伊庭八郎は榎本武明率いる旧幕府軍と合流し函館へ。

遊撃隊隊長となり奮戦するも木古内の戦いで被弾し致命傷を負いながらも五稜郭へ移動。

最後は五稜郭開城前に榎本武明がくれたモルヒネを飲んでその生涯の幕を閉じたという剣士です。

 

途中から隻腕になったとはいえ

最後の最後まで諦めなかったという所に

何か同じ隻腕の剣士としての意地と誇りを感じました。

 

まとめ

 

 

片腕でもやれるという意地と熱い想いが

片腕だからやれるという心構えになるまでには

相当の時間を費やし努力して失敗して苦労ばかりだったはずです。

 

その大変な苦労が今教えている子供たちには少なからず届いているでしょう。

そんな想いを感じた子供たちが高宮氏の背中を見て育ち

立派な大人になっていく光景が目に浮かび熱い想いが心と目頭を覆いました。

 

 

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