どら焼きの形は丸ではなかった!?源義経がどら焼きの由来!?

スイーツというにはあまりにも

なじみすぎている身近なスイーツの

「どら焼き」ですが本来の形は今のような

丸い形ではなかった!?

また悲劇の武将としてファンの多い

牛若丸こと源義経がどら焼きの由来に関係しているとかいないとか!?

一体どうなんでしょうか?

 

 

どら焼きは今のような丸い形ではなかったの!?

 

 

どら焼きといえば

丸い

というイメージがすぐ思いつきますが

実は今のような丸い形になったのはホットケーキ(パンケーキ)

日本に入ってきてからなので

大正時代あたりからだと言われています。

※パンケーキは明治時代に入ってきていましたが

一般的に食べられるようになったのは大正時代だと言われています。

 

 

ですが大正時代にはまだホットケーキとどら焼きの区別が

今ほどちゃんとされていたわけではなく

甘くて丸いスイーツという分類で理解されていたと考えられています。

 

 

どら焼きは丸い形の前はどんな形だったの?

 

 

今のように丸い形になったのは先述の通り

大正時代になってからです。

 

ホットケーキ(パンケーキ)の影響を受けて

丸く焼いた生地2枚で餡を挟み込む今の形になる前は

一枚の生地で餡を包み込む

という方法を取っていたので

生地の端から包み込むような形になるので

自然と四角形となり

きんつばのような感じになっていたと言われています。

 

 

 

 

 

どら焼きの由来に源義経は何かしら関係しているの!?

 

 

どら焼きと源義経というのは

ちょっと繋がりにくいのですが

諸説ありますが由来としてそういう話があるという認識で良いでしょう。

 

一説によると

源九郎義経が兄である源頼朝と仲たがいになり

奥州藤原氏を頼って北へ向かっている道中に

怪我か病気になった弁慶(あるいは義経)が世話になったお礼に

生地となる小麦粉を水で溶かしたものを銅鑼で焼いて

餡を包んだ今のどら焼きの原型となるお菓子を振舞ったという由来があります。

生地を焼いたのが丸い銅鑼だったので「どら焼き」という説。

 

 

ただし、この頃はまだ小豆餡はまだなかったようですから

甘い小豆の餡の代わりにはちみつあたりをつかったのではないかと

もしそうであったならばという想像から現実味を持たせた説もありますね。

 

養蜂はこの時代には既にあったようですから

もし本当であればハチミツを小麦粉の生地で包むというのは

クレープっぽい感じになっていたのかもしれませんね。

 

 

 

 

まとめ

 

 

今は多種多様な形のどら焼きがありますが

基本的にはどら焼きは丸いというのが常識なわけで

それもずっとそうだったというのは思い込みだったんですね^^

 

  • どら焼きの形→昔は四角だった
  • どら焼きの由来→諸説あるけれど義経一行がお礼に振舞った

 

さすがに由来が

源義経にあるというのは

あまりにもロマンがありすぎてピンときませんが

そういう由来があっても良いなと思うくらい人気のある武将なので

ロマン枠という意味でも由来の一つと考えて良いのではないでしょうか。

 

 

 

おすすめの記事